みなさんこんにちは!
広報部です。
この度、藤原さんが会社を通して千葉県野田市に寄付金を行いました。
そして先月その関連でC4Cが表彰されました!🎊
今回の記事では表彰までの経緯をお送りします🎉
藤原さん、千葉県野田市に「鈴木貫太郎記念館修復」の名目で寄付金!
皆さん、突然ですが鈴木貫太郎さん(以下、鈴木さん)を知っていますか?
鈴木さんは太平洋戦争終戦時の日本の総理大臣です。
太平洋戦争は1941年12月8日の真珠湾攻撃から始まり、1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受託するまで、約3年半の間続きました。
日本は敗戦国となりますが、負ける戦いを終わらせるのはとても難しい仕事で、当時の総理大臣であった鈴木さんは命がけで”日本を終戦へ導いた人”といっても過言ではありません。
千葉県野田市は鈴木さんが幼少期と晩年を過ごした土地です。
野田市には鈴木さんゆかりの品を展示する記念館、「鈴木貫太郎記念館」がありますが、2019年の台風19号の影響などを受けて現在も臨時休館が続いています。
社内でも歴史通として知られる藤原さんは「鈴木貫太郎さんを最も尊敬する人物」としていて、2021年5月に「鈴木貫太郎記念館の修復」という名目で会社を通して野田市に寄付金をしました!
そして2022年3月26日に亀山さん、藤原さんが千葉県野田市を訪問し表彰式に出席してきました。
私も表彰式に同行しましたが、今回の寄付金で野田市との関わりやつながりを感じ、身が引き締まる思いでした。
どんな気持ちで寄付金を決めたのか藤原さんに聞いてみました!
今回の寄付金ですが、藤原さん個人のお金を会社からという形で寄付しています。
どんな思いで寄付を決めたのか、藤原さんに回答してもらいました!
鈴木貫太郎がいなければ、今日の日本は無かったと思っています。
尊敬しているところは、枚挙にいとまがないですが、
端的に言えば、器が大きく、懐の深い人。驕ったところがない。
その上で、行動力も素晴らしいものがあります。
海軍軍人として日清・日露戦争で活躍し、
それだけでもすごいのに、その後総理大臣として終戦へと導きました。
この終戦というのは、ある意味戦争以上に命がけなことで
それを実現できたのは、貫太郎以外いなかったのではないかと思います。
しかし、小中学校の歴史の授業でも貫太郎について取り上げられることはほとんどありません。
以前、家族で「鈴木貫太郎記念館」に行きました。
小さな施設で、静かで、お世辞にも子どもが楽しめるところではなかったですが、
そこに貫太郎らしさを感じて、穏やかな気持になれました。
今後も定期的に訪れよう、社員も連れてこようと思っていた矢先に休館となってしまい、
貫太郎のことを後世に残したい思いと、感謝の気持から寄付金を決めました。
藤原さんありがとうございました!
私も鈴木さんを知らなかったのですが、こうして普段生活できているのも鈴木さんはもちろん、過去の人達の努力、積み重ねがあったからなんだと感じました!
そういう人々について知ったり、感謝したりすることは、直接的ではないかもしれませんが私達の日々の生活を豊かにするものだと思います。
皆さんもぜひ鈴木さんがどんな人だったのか調べてみてください♪